2012年1月10日火曜日

城東4(新郷宿 、 別所の松原、 大亀の甲、川俣御関所 他)

◯新郷宿
(増)宿内は五丁ばかりの長さで日光街道の駅である。川俣の関所へ三丁、舘林へ二里、行田へ二里である。茶店、旅店、商家、農家など軒を並べ、道は東西に分かれている。

◯与木大明神
   宿の中ほど東側にある。昔洪水で弊に神号を書きつけた杉の木二本が流れついた所から、これを祭る。何の神かはわからない。杉は大木になっている。

(増)たぶん寄木(水辺に着いた木)で作られた物であろう。ちなみに以下を参考に引用して伝える。江戸砂子という書物には、与木大明神は洲崎町にあると書かれている。源義家朝臣が安倍貞任、宗任を征するため東国へ下向の時。ここに馬を留めた。この寄木の社を拝もうとして、その来歴を訊ねた。地元の漁師がいうことには、この社は日本武尊と橘姫を祭る所です。橘姫が海中に身を投じた時、その身が砕けて所々に飛散しました。ここに流れ着いた木を社に祭り、二神を勧請し寄木大明神として崇めるといい伝わるとか。当社もこの類か。

◯天王宮  宿の北、突き当りにあって大社である。 
宿内の出生(産土)神としている。例祭は、六月二十四日である。

◯別所の松原 新郷より別所への道の片側にある。この松原へ行く前の小川が、上武との国境になっている。

(増)大亀の甲羅 
   新郷の村長の須永某が所蔵し伝えている。昔、この家に一人の下男がいた。上野の国の生まれで家は利根川に近い。老婆がいるこの二十歳位の下男は、性格が温厚実直でよく親に仕えていた。主人の家でもよく勤めたので、周囲の人は皆この下男をかわいがった。下男は毎日主家の仕事を務め終わると、家に帰って親の面倒を見る事が普通であった。
   ある日親の元へ行こうとして利根川を船舟で渡ろうとした時、あやまって川へザブンと落ちてしまった。ちょうど増水していて舟と人とは遥かに離れてしまったけれど、もとより水に手なれた下男なので、やすやすと岸の方へ泳ぎ着こうとした。
   その時急に波が立ち騒ぎすざましい光景の中、水中より一匹の大亀が浮かび出て、下男をめがけて追ってきた。下男は、これを見て驚き恐れて逃げようとしたが、やがて背中から抱きつかれて食われそうになった。下男は逃れたい思いで、腰の刀を引き抜き、力任せに後ざまにしたたかに突いた。亀は明中(眼)を、突かれて弱る所を続けさまに切り伏せ、そのままその亀を引っ張って岸に登りかろうじて危難を逃れた。亀を自分の解いた帯で縛り、側の松に結び付けた。家に帰りしかじかの事と語り聞かしたら、皆舌を巻いて恐あった(悪いことが起きなければと)。
   夜が明けて、主家に帰ろうとしてその場所に来てみるとそのまま亀は死んでしまっていた。これを提げて主家に帰り、あった事など語り主家に帰ってくるのが遅くなったことを詫びたところ、主家の人々これを聞いて奇異な想いをする一方、且つその過ちなかったことを歓んだ。これは全く孝行の現われであって、よくこの危難を逃れたものだと下男を賞した。その亀の甲を二つにし、一つは主家の家に置き、もう一つは下男の家に送り孝行の証としたとか。

◯川俣の関所
(増)別所の北、利根川の堤の上にある。女性、鉄砲など改める(厳しく検査する)ことは、 箱根や新井の関所と同様である。



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