2012年1月8日日曜日

忍名所図会跋(ばつ)

忍名所図会跋(ばつ)
   府県の志(歴史を本紀・列伝・志・表で記述する紀伝体の志)は古昔より有るが、世が治まって(徳川家康の世になって)以来鴛城は候国と為り二百余年が経つが、いまだ志あるのを聞かなかった。我公がここに封を移して二十年、初めてその人が出た。すなわちその書を見るに実にこれ文教の教化と呼べるものであった。それなので洞李翁の記録は漏脱がまた多く、覧る者は残念に思った。今回岩崎長容があまねく捜し究索(きゅうさく)し補い、その遣(つかい)を遂げ、全書を完成した功績は大きい。予はこれを借覧して、感じたことがあったので、聊(いささ)かその跋を書した。

   庚子(かのえね)季秋  為幻老漢璋識   松崖書

尻書き
   多才な人達(洞李香斎と岩崎長容)があれこれ優れた技を駆使し、たとえ木であろうと石であろうと、良い品々を心のままに探し求めて見事な形にまとめ、増補忍名所図会となったものである。文章を作る技もまたすばらしい。
   忍近郊の世上を想うに、昔ながらの武蔵野のはずれなので、都人(みやこびと)の行き交いなどあるはずもなく、埼玉の津、小崎沼、利根の笹原など僅かばかりを除けば、古の歌にでた所もない。名前など聞いたことがないだろう。
   そのようななか、延喜式神名帳や和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)に始まり、少し前の軍記物(平家物語、東鑑、成田記など)を引用し、社伝・寺記や里人の口伝・石碑などを、あるがままに選ばず捨てず拾い集めたものだ。
   木でも石でも藁で作ったものでさえ匠の苦労があるもので、なかには見劣りするのもあるだろうが、うわべを飾るのではなく現実に即しありのままに載せているので、ぜひ見て読んでいただきたい。

以上、少しばかり尻書きとして加えた。  黒沢翁麿





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