2012年1月9日月曜日

城西3(東光寺、泰蔵院、報恩寺 他)

◯医王山東光寺 
  村の西にあり、宗洞宗龍淵寺の末寺、堂塔は彫り物等があり美麗である。 本尊は薬師如来(長さ一尺で春日の作)

(増)言い伝えでは此の薬師如来は岡部六弥太の信仏(信じている仏)である、一月、四月、五月の八日に多くの人が参拝する。放生会(仏教の不殺殺戒により魚鳥などを、山野池沼に放ち供養する仏会)がある

(増)光明山一乗院無量寿寺 村の西寄りの田圃の方に出ている。新義真言宗高野山金剛院に属する無本寺(独立した寺で末寺のないもの)である。涅槃像の掛け軸(横二間半縦三間、彩色美しく筆跡は見事である。二月十五日が縁日である) 寺の言い伝えによると、大同元年(806)の創建である。数度の火災に遭って建て替えられ塔堂は古くはないと云う。記録も又、絶えて分からないと云う。此の辺りすべて秋庭(秋葉)と云う。

(増)成田山泰蔵院 
  村の中程にあり、曹洞宗龍淵寺の末寺である。
成田記に、当寺は成田内匠助泰蔵の開基である。そもそも成田泰蔵は長泰の三男である。しかし可愛がられて成長し、兄氏長や泰親より勢力が有った。さる永禄八年(1566)家督の騒動があったが、父長泰は髪を落とし仏門に入り嫡子氏長へ家督を譲り、一門家中が無事におさまったのを祝った。しかし外祖父の曽我刑部は長泰の夫人と計り泰蔵を跡に立てようとしたが、もう家督の済んだうえは如何かと後難を恐れて外祖父の曽我刑部は切腹した。叔父の刑馬助は自分の家に蟄居したので、栄枯はすぐに代わり、氏長や泰親は木が茂るがごとく、泰蔵は秋の木の葉の風に散るように甲斐なき身となった。同十年秋、母の旭(あさひ)が亡くなってからはますます世を味気なく思い、頻りに仏門を慕っていた。龍淵寺の前の明庵和尚が当国騎西の寿昌寺に隠居しているのを招請し、是を師として朝夕語堂(悟りの道)に励んだ。成田の辺りに西方寺という時宗の一字があった。今は仏像や碑も雨露にうたれ、石碑や塔婆も草木のなかに隠れて、只狐狸のいるだけなのを幸いに、再建する事を思いたった。兄の氏長に請うとたちまち成就して成田山泰蔵院と改め、庵を開山して龍淵寺の末寺と決め、泰蔵は念仏三昧で亡くなった。其の後変わらずに今にたえる事がない

(増)成田落鴈
  成田千畝接東西、鴈陣横斜落遠室、春去秋来留此地、年々応飽稲梁豊
(東西に成田の広大な土地が広がっている、鴈の群れは遠くの田圃に斜めに降りてゆく、 春が去りまた秋が来て此の地に留まる、毎年稲は豊かに実る)

           日野前大納言資時卿の和歌
いくつつく 成田の面に 落る鴈 いつミの山の 峯を越来て 
(意訳:いっぱいに広がる成田の土地に降りる鴈が見える、いつか見たあの山の峯を越えて来たんだなあ)

泉山八景は、男体山の清風、筑波山の夕日、利根川を下る帆、熊谷の晩鐘、長井の夜雨、泉山の秋月、成田の落鴈、赤城の暮雪である。

(増)箱田村 筥田(はこた)太郎が住んでいた里である。屋敷の跡がある。東鑑には建久元年(1990)云々、三十七番筥田太郎云々、三十八番南太郎籐九郎、成田太郎云々とある。

(増)肥塚村 肥塚太郎光長の遺跡がある。肥塚は代々熊谷家の家臣であることが、熊谷家の家系に載っている。

古碑 肥塚某の旧地という所にある。
石の厚さ二寸、 長さ三尺八寸。

私が仏になるとき、十方の衆生が、まことの心をもって、信心をおこし、我が国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないならば、私は正しい覚りを得ません(念仏往生の願)
康元(1257)三月

応安八年(1375)三月十七日  遒義禅門
横二尺二寸、 長四尺五寸。




(増)熊谷宿 忍より西の方にある。距離は二里、鴻巣へ四里八丁、深谷へ三十丁、熊谷次郎直実の旧跡である。

(増)候(松平)の陣屋が町の中程北側にあって往還より見える。此の裏の田圃に熊野権現の有るところを直実の館跡という。
  此の宿場は中仙道の中でも頗る都会の地であり商家が軒を並べ四方のお金が爰に集まり、食べ物、飲み物、市、食堂が多く人が沢山集まるところである。南の方の本田・畠山の山家より毎日紫薪(しばまき)を馬で出し交易している。
  式内(神明帳に載っている)高城の社は中程北側にある。千形神社は同側に鎮座している。すべて此の辺りを千形庄という。蓮生法師の墓碑は木戸の外の北側にひっそりとある。是より西は石原である。北の方の道は妻沼への道である、二里余りである。宿場内に、田町・新町・本町・横町等の小名がある。二と七の日に市が立つ。

◯熊谷山大慈院報恩寺 
  本町へ入り一町ばかり北側にある。曹洞宗龍淵寺の末寺。山門・楼門・本堂・庫裏が備わって壮麗である。惣門横額の熊谷禅林は、阿部正識公の書いたものである。

(増) 寺伝に、
  昔は浄土の寺だったが、十三世前、転じて曹洞宗となる。蓮生法師熊谷直実の木像は、大昔は当寺にあったが、訳あって彼の寺(熊谷寺)に送った。


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