新編武蔵風土記稿は武蔵国に関する地誌で、徳川幕府が昌平坂学問所(大学頭林述斎)に命じて編纂した。文化7年(1810)に編纂作業に入り、天保元年(1830)に完成した全266巻におよぶ地誌で、当時の状況を知るための貴重で信頼できる唯一の資料として高く評価されている。
調査内容は自然、歴史、農地、産品、神社、寺院、名所、旧跡、人物、旧家、習俗など、およそ土地・地域についての全ての事柄に渡り、地域支配者の協力を得て、また塾生を各地に派遣し実地調査している。新編とは、古風土記に対して新しいという意味で付けられている。
学習範囲
今回の学習範囲は、現在の行田市内のほかに、文政六年(1823)に松平公が桑名から忍に配置替後で、天保元年(1831)に播磨国2万石を新領と振り替えした時の行田周辺の忍領64,043石を構成する町村とした。
寺社については、古い寺社は増補忍名所図会の現代語訳に載せたので、また約200年が過ぎた現在では存在しない寺社が多いため、名称のみとした。寺社名称の末尾に"*忍名所”とあるのは、忍名所図会で名前がでてくることを示す。
表示について
各村の冊と頁の数字は、原文(雄山閣発行之大日本地誌大系 新編武蔵風土記稿)での冊と頁を示す。
数字の表記方法は、年号や固有名詞には漢数字を用い、西暦年の追記はアラビア数字を用いた。計量尺度の数値は原則アラビア数字としている。但し、一二三などは漢数字の場合もある。
資料 昭和56年 行田郷土文化会発行
「新編武蔵風土記稿(行田編抜萃)」
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